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前回、当時から「~子」と呼称されていたのは、「孔子」の他に、「曾子」と「有子」だけであったことを説明した。 この場合の「子」は、先生の意であるから、初期の儒教集団において、先生の扱いを受けていたのは、孔子を除けば、「曾先生」と「有先生」だけである。 しかも有子は、論語において3度しか出てこないが、それは全て「学而」なのである。 「学而」が論語の原形をとどめていることで学会の意見の一致をみているならば、そこに繰り返し発言が記録されている有子は、間違いなく論語の「執筆者」ではないか。 その有子の発言をみれば、論語、ひいては儒教の根源的思想が分かるのである。 (続く) 追記 本ブログは「春秋編」及び「孔子・弟子・家族編」の姉妹編である。併せてご愛読頂ければ幸いである。
by 2-shikou
| 2007-11-20 15:04
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