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「孝」は孔子のアキレス腱であり、弱点であった。 姉妹編にて考証しているが、孔子は幼年時に父を殺害又は処刑され、母とも生き別れ、従って、父の場合も母も死に際しても、喪に服していないのである。 逆に言えば、「孝」の大切さを身に沁みて感じていたのは、他ならぬ孔子である。 それを踏まえた上で、次の一節を読む。 子曰、父在觀其志、父沒觀其行、三年無改於父之道、可謂孝矣、 (子の曰わく、父在(いま)せば其の志しを観、父没すれば其の行いを観る。三年、父の道を改むること無きを、孝と謂うべし。) そもそも、「孝」を実践できるのは、一握りの階級層だけである。 平たく言えば、貧乏人が3年も働かなければ、死ぬ。親戚が面倒を観たとしても、その負担たるや、大変なものである。 故に、3年にもわたって喪に服するのは、身分の高い人物=為政者しか出来ない。 その点、その生い立ちから考えても、孔子の説は徹底して為政者に向けたものである。 以上を踏まえれば、この文は原典に収録されていたと判断できるし、3年という期間は、権力者の力の誇示の一面もあったが(他人のやれないことをやれば、一般人は畏怖する)、権力委譲の方法を定めた意味もある。 親に忠実ならば、君主になれる立派な人材である。 その判断基準を提供しているのである。 ところで、「孝」は形而上学的な、無私の概念なのであろうか。 とんでもない、極めて実用的な考えなのである。 (続く)
by 2-shikou
| 2007-12-11 21:52
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