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季康子問、使民敬忠以勸、如之何、子曰、臨之以莊則敬、孝慈則忠、擧善而教不能則勸、 (季康子問う、民をして敬忠にして以て勧ましむるには、これを如何。子の曰わく、これに臨むに荘を以てすれば則ち敬す、孝慈なれば則ち忠あり、善を挙げて不能を教うれば則ち勧む。) この文ですが、内容の検討に入る前に、本来ここにあるべき一節を戻さねばなりません。 通本では「学而編」にある、 「君子不重則不威、」 です。 復元してみましょう。 「季康子問、使民敬忠以勸、如之何、子曰、君子不重則不威、臨之以莊則敬、孝慈則忠、擧善而教不能則勸、」 意味は、 「ご主人の季康子様が孔先生にご下問した。(書物にあるように)庶民さえも領主の私を愛し、私心なく使役に励むには、どうすれ良いのかと。先生はお答えは次の通り。上に立つ者、貫禄がなければ威厳がないですから、庶民に対しては厳しい態度で臨めば恐縮します。労わってやれば好意を持ちますし、慣れていない者に勉強して分かっているものが教えれば、やり方が分かって働き出します。」 「民」に対する問答である点に注意。孔子は季孫子の内臣であるから、両者の会話は有り得ます。 季康子も後生によって悪く描かれていますが、政治に心を砕き、魯公に代わって事実上、国政を切り盛りしました。 季康子が季孫子の当主であったのは、紀元前489年から468年まで。 「季康子」は贈名ですから、この一文が成立したのは、それ以降ということになります。 この会話は、前483年のものです。 季康子はこの年、抜本的な税制改革と軍制改革を断行しました。 その前後に、内臣の長老格の孔子に尋ねたのです。 この一節は、為政編か季氏編に入るべき。今は「為政編」に含みます。 (続く) 追記 真説「春秋」、真説「論語」、並びに真説「孔子」を、故宮崎市定先生に捧げます。
by 2-shikou
| 2008-02-16 13:14
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