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「子曰、蹄自既灌而往者、吾不欲觀之矣、」 これは後生による加筆ですが、「蹄」と言う祭が魯で行われていたことを示す一文でもあります。 そして、冠婚葬祭や法事の主催者を考えれば、この祭を執り行ったのは、魯公と理解できます。 その魯公主催の祭を、理由はともかく批判すれば、孔子の命はありません。 「或問蹄之説、子曰、不知也、知其説者之於天下也、其如示諸斯乎、指其掌、」 まず、この質問者は、「蹄」に参加した経験があり、この祭の式次第に知悉している人物です。 要は、「鼎の軽重を問う」のと同じ発想です。 分かっていて、起源を問うたのです。つまり、孔子に対する誘い掛けなのです。政治に対する。 (続く) 追記 真説「春秋」、真説「論語」、並びに真説「孔子」を、故宮崎市定先生に捧げます。
by 2-shikou
| 2008-03-25 22:28
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