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「王孫賈問曰、與其媚於奧、寧媚於竈、何謂、子曰、不然、獲罪於天、無所祷也、」 古代中国史研究家が如何に鈍いか、それを鮮やかに映し出してくれるのがこの一文です。 まず、「王孫賈」で止まらねばなりません。 春秋時代、「公孫」と言う姓が頻出します。 これは「公=諸侯の孫又は子孫」と言う意味で、これだけで高貴の家の出身であることを示しています。 では、王孫はどうなるか。 ピンと来なければどうかしています。 「周王の子孫なのではないか」 こう思うのが普通です。 但し、それでも「鈍くはない」だけで、「古代中国史で禄を食んでいて、よくここまで鈍くなれるな」と言われないだけです。 当時、「王」を称していた国家が幾つあったかを考えねばなりません。 まず、周。これは問題ありません。 それから、楚です。楚出身の「王孫」も有り得るのです。 また、呉も「王」を自称していますし、斉もどうやら内々で王を称していた節があります。 ですから、この王孫はどこ出身の王孫なのか、学者は答える必要があります。 多分、後世の同姓同名の人物を重ね合わせたのでしょう。 そして、孔子とは身分が違いすぎます。 結論 本文は加筆。 (続く) 追記 真説「春秋」、真説「論語」、並びに真説「孔子」を、故宮崎市定先生に捧げます。
by 2-shikou
| 2008-04-03 17:12
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