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前回、宰我を魯公の内臣団長と断定しましたが、その根拠となるのが本節です。 この時代、貴人は通常、内臣即ち家内奴隷と直接会話を交わすことは有り得ません。 但し、内臣団長は例外です。 秘書であり、内臣を束ねる人物だからです。 ですから、宰我を内臣団長と仮定すれば、魯公と会話をしていても不思議ではありません。 ただ、直答を許されていることと、論語の文が真実を伝えているかは別の話です。 この一文は他者による贋作です。 理由は簡単、内臣団長がご主人に対して対等な態度を取る筈がないからです。 (続く) 追記 真説「春秋」、真説「論語」、並びに真説「孔子」を、故宮崎市定先生に捧げます。 #
by 2-shikou
| 2008-05-19 11:48
宰予 字は子我ですが、「宰我」が通称になっています。 そして、目下の者が記す場合、字の「子我」を使わなければならないことは、この時代の常識です。 ですから、「宰我」と言ういささか礼を失する表記を使っているのには理由があると考えられます。 まず、この一節を挿入した人物は、政治的に「宰我」を対立する立場にあったと考えられます。 次に、「宰我」は身分が低かったためで、具体的には内臣(家内奴隷)でした。 それから、孔子の弟子ではなかったことも理由に挙げられます。 孔子の弟子であれば、仲由(子路)に代表されるように、「子+以前の字の一部」と言う新たな字を、「免許皆伝」の験に貰います。 但し、孔子の弟子は、基本的に季孫子の内臣です。 とすると、弟子ではない宰我は、別の有力者の内臣ということになります。 では、誰の内臣か。 魯公の内臣です。それも内臣団長です。 ですから、魯公と直接会話が許されるのです。 (続く) 追記 真説「春秋」、真説「論語」、並びに真説「孔子」を、故宮崎市定先生に捧げます。 #
by 2-shikou
| 2008-05-18 14:15
「子曰、關雎、樂而不淫、哀而不傷、」 この一節が仮に孔子の発言だとしても、論語の原本に掲載されていないと思われます。 この一文は、詩経の關雎について、孔子が解釈を加えたものですが、それなら詩経の「伝」として残せば良いものです。 少なくとも、論語に掲載する筋合いのものではない。 ご存知の通り、原本の論語は、極めて論理性が高く、全体的にも整合が取れていて、内容に齟齬がありません。 そこに、学校の先生の講釈を書き写したような箇所があっても、不自然なだけです。 従って、孔子の肉声かどうかは別として、論語には載せるべきでない内容と判断します。 次が重要。あの宰我が登場します。 (続く) 追記 真説「春秋」、真説「論語」、並びに真説「孔子」を、故宮崎市定先生に捧げます。 #
by 2-shikou
| 2008-05-16 14:29
「定公問、君使臣、臣事君、如之何、孔子對曰、君使臣以禮、臣事君以忠、」 煩瑣を厭わず申し上げますが、孔子は季孫子の内臣ですから、定公からみれば、孔子は陪臣です。 君主が陪臣と直接会話することは、この時代に限らず有り得ません。 ましてや、他人の内臣と話をするだけで、君主の権威は失墜します。 それに、この一文の不可解なのは、定公の質問内容です。 「君使臣、臣事君、如之何」 は 「君主はその内臣を使役し、内臣はご主人に仕える。この考え方でどうかね」 と言う意味ですが、これでは馬鹿殿丸出しです。 むしろ、後の孔子の発言をでっち上げるための下敷きと考える方が妥当です。 要は、孔子に魯公をたしなめさせることで、孔子が君主の師であると言いたいのです。 勿論、後世の加筆、原本からは削除すべき一節です。 (続く) 追記 真説「春秋」、真説「論語」、並びに真説「孔子」を、故宮崎市定先生に捧げます。 #
by 2-shikou
| 2008-05-15 23:34
「子曰、事君盡禮、人以爲諂也、」 これは孔子の本音だと思います。勿論、原本に載っていました。 この一節は、少し前の 「子入大廟、毎事問、或曰、孰謂鄒人之知禮乎、入大廟、毎事問、子聞之曰、是禮也、」 に続けて並べると、大変繋がりが良いです。 「分からない箇所はとことん理解できるまで尋ねる、それがしきたり(礼)だとしたら、君命に従ってしきたりを全うすれば、今度はおべっかを使っていると言う陰口が聞こえてくる。」 こんな意味ではないでしょうか。 おべっか使いやがってと言う謗りは古今東西不変です。 君命を全うする孔子に対して、心無い言葉を投げかける輩が、内臣団の一部に存在していたとしても不思議ではありません。 さて、それが誰なのか。 意外と閔損(閔子騫)の父親辺りかも知れません。 (続く) 追記 真説「春秋」、真説「論語」、並びに真説「孔子」を、故宮崎市定先生に捧げます。 #
by 2-shikou
| 2008-05-08 17:43
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