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「子曰、射不主皮、爲力不同科、古之道也、」 これは既に済ませていますので、次に進みます。 「子貢欲去告朔之餽羊、子曰、賜也、女愛其羊、我愛其禮、」 一読して分かりますが、明らかに後世の作文です。 曾子が加筆したのなら、同世代の作文です。 少し考えれば、礼を変えると言うのは、専属に対する冒涜であることが納得できます。 祖先より自分が偉いと言う考えは、中国では今も昔もありえないのです。 それをわざわざ子貢にさせているのは、彼を貶めたいからです。 よって、この一節は排除。 (続く) 追記 真説「春秋」、真説「論語」、並びに真説「孔子」を、故宮崎市定先生に捧げます。 #
by 2-shikou
| 2008-04-30 17:21
「子入大廟、毎事問、或曰、孰謂鄒人之知禮乎、入大廟、毎事問、子聞之曰、是禮也、」 では、この一文は、論語の原本のどこにあるべきなのでしょうか。 八佾編そのものが、後世の作である以上、別の所から移されたと考えるのが妥当です。 その本来の在処とはと言いますと、学而編、里仁編、述而編などが有力候補に挙げられますが、述而編が最有力と考えられます。 「述懐」と言う言葉ありますように、基本的に述べるは「過去」に関係します。 とすると、この若かりし頃の孔子を活写した一文は、述而編に含まれると考えるのが、最も妥当です。 (続く) 追記 真説「春秋」、真説「論語」、並びに真説「孔子」を、故宮崎市定先生に捧げます。 #
by 2-shikou
| 2008-04-27 16:41
古代中国は身分社会ですから、或る家の内臣が一人で宮中に出入りしたり、他家の高貴な身分の人物と直接口をきくなどというのは、有り得ない話なのです。 ですから、孔子も誰かの部下(付き添い)という身分で、お供の形で宮中に出入りしたと思われます。 とすると、表向きはその貴人が宮中で勉学に勤しむという名目で、内実はお供の孔子が全てを頭に叩き込むために、出入りの許可を得たと推測されます。 とすると誰のお供か。 ここで注意すべきは、学問に興味のない者、それに馬鹿のお供は出来ないと言うことです。 同行申し上げる人物が、学問好きで、周囲もそれを知っていなければ名分が立ちません。 とすると、子供が学識豊かな人物の父親しか有り得ません。 子貢の父です。 (続く) 追記 真説「春秋」、真説「論語」、並びに真説「孔子」を、故宮崎市定先生に捧げます。 #
by 2-shikou
| 2008-04-25 22:17
では、この一文の光景に偶然出会い、孔子の才能に感心した人物、後にその才能を愛した者とは誰なのでしょうか。 まず、候補として「別の図書館職員」が考えられます。 ですが、この可能性は薄いです。 図書館員は原則として、宮中の内臣、諸侯の家内奴隷です。 この時代、内臣の発言が記録されることは、まず想像できません。 一体、宮中の内臣(図書館の別職員)が季孫子の内臣(孔子)に話しかけた事実を、誰が選んで記すのですか。 次に、図書館長、つまり樊氏(大夫、具体的には樊須(樊遅)の父)が挙げられます。 この人物は大夫ですから、発言を記録しうる立場にあります。 しかし、これも有り得ないと思われます。 樊氏は周王室に繋がる、高貴な家柄の出身です。 つまり、都会出身で共通語が話せる文化人なのです。 ですから、図書館の文書管理を任される知識人です。 その高貴な家柄の人物が、別の地元貴族の内臣と直接会話を交わすことは、有り得ないと判断すべきです。 貴族が他家の奴隷と話をする、全く想像の産物です。 では、誰か。 ここで考えて頂きたい。 内臣一人を国立図書館に派遣するか。 しないと思います。子弟を勉強させると言う名目で、そのお供の内臣(孔子)と言うのなら、筋が通ります。 結論 孔子は子貢の父に従い、宮中を出入りした。 (続く) 追記 真説「春秋」、真説「論語」、並びに真説「孔子」を、故宮崎市定先生に捧げます。 #
by 2-shikou
| 2008-04-21 21:22
本節は次の様に解釈すべきです。 「子入大廟、毎事問、」 (訳) 季孫子の口添えで宮中の図書館とも言うべき場所に出入りするようになった孔子だが、経(公式文書)だけでなく、伝(それについての解説で、口伝)全てを暗記、理解することをご主人(季孫子)から厳命されていたので、何かと職員の手を煩わすことが多かった。 「或曰、孰謂鄒人之知禮乎、入大廟、毎事問、」 (訳) 迷惑に思っていた職員がある時、「あの鄒の生き残りの餓鬼、物知りとの評判だったが、何のことはない、全然知識がないから、何から何までこっちに訊いてきやがる。」 (おそらく、そこまで執拗に質問するようには、聞かされていなかったのでしょう。季孫子も真意を隠してただ、自由に出入りさせて、分からないことがあれば教えてやって欲しい程度の要請にしていたと思われます) 「子聞之曰、是禮也、」 これを聞いた孔子、こう呟いた。「経の読み方、内容、それに伝の中身は、代々語り伝えられているものではないですか。そのしきたり(礼)に従ったまでです。 素晴らしい一節です。 そして残るは、誰がこの光景を観ていたのかです。 (続く) 追記 真説「春秋」、真説「論語」、並びに真説「孔子」を、故宮崎市定先生に捧げます。 #
by 2-shikou
| 2008-04-17 21:05
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