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「学而」 この編は学問について、学ぶことの意味について、孔子の肉声を記したものである。 まず、以前にも取り上げたが、冒頭の一説。(なお、今後、特に断りのない場合、 http://www.asahi-net.or.jp/~pd9t-ktym/kanmei.html から引用したと理解されたい) 子曰、學而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍、不亦君子乎 子の曰わく、学びて時にこれを習う、亦た説(よろこ)ばしからずや。朋あり、遠方より来たる、亦楽しからずや。人知らずして慍(うら)みず、亦君子ならずや。 (解説) この一説については、前にも宮崎市定氏の解釈と、「朋」とは「誰の」朋なのかという疑問を呈しておいた。 この文章は、最晩年の孔子が、目の前で行われている温習会を観ながら、論語の「編集者(あるいは編集長」に語った言葉と考えて良い。 そして、この「編集者」は、魯からすれば外国の出身で、孔子が心から信頼を寄せる人物である。 最後の「人不知而不慍、不亦君子乎」は、その人物を暗に賞賛した一説であり、その奥ゆかしさ、その人格の完成度を称えたものと言える。孔子一派が温習会を開けるまでの規模にまで、育て上げたことに対する感謝の意でもある。 それ故、「編集責任者」と言える人物は、感激しながらこの一説を心に留め、後に書き留めて、後世に残したのである。 その人物については、今は触れない。 (続く) 追記 本ブログは「春秋編」及び「孔子・弟子・家族編」の姉妹編である。併せてご愛読頂ければ幸いである。
by 2-shikou
| 2007-11-16 22:39
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