|
ようやくにして、学而編の真の姿を浮かび上がらせることが出来た。 一部重複するが、以下に、原文(白文)と拙訳を掲載する。 1)子曰、學而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍、不亦君子乎 孔先生のお言葉「今、私の眼前で礼学の定例温習会が開催されている。このような光景が観られるとは、これ以上の慶びはない。この温習会に、貴方を目当てに遠方も厭わず友人がやって来ているね。さぞ嬉しかろう。この会を開催できるまで尽力しながら、そのことを誰にも悟られなくとも、不満の色ひとつ表情に浮かべない。立派な人物だ、君は。子貢よ。」 解説 孔子最晩年の発言。疾風怒濤の人生の末、礼学の大規模な予行演習が目の前で行われていることに対する、孔子の限りない喜びを表した一節。同時に、そこまでこぎつけてくれた、信頼する弟子の子貢への、その努力に対する感謝の念と、立派な態度に対する賞賛を表現している。子貢は論語(勿論、改竄、加筆が加えられる前の)の「編集総責任者」。後に登場する有子は執筆者」。子夏は「共著者」。 2)子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩、 孔先生の述懐。「ご主人(季孫子)から学問のお許しが出たのは、15歳という遅い年齢であった。初めて教え子を持って、教壇に立つ側に回ったのは30歳。葛藤を克服して、ご主人に就いていこうと決心したのが40歳である。ところが、50歳の時点で、政治に携われという、天命とでも言うしかない命令が、身の上に降りてきた。他人の誹謗中傷に心乱されなくなったのは、他国で冷や飯を食わされていた60歳に達してから。やりたいようにやっても、角を立てないで他人と付き合えるようになったのは、何と70歳に至った、最近のことなのだ。」 解説 波乱万丈の人生を語るとともに、そのまま孔子の人間として成長を物語っている。前節を前書きとするならば、まさに学而編冒頭に相応しい一節。 故意が錯誤によるものかはともかく、為政編に混入したと考え、元の位置に戻した。 3)有子曰、其爲人也、孝弟而好犯上者、鮮矣、不好犯上而好作乱者、未之有也、君子務本、本立而道生、孝弟也者、其爲仁之本與、 有先生のお言葉。「親孝行で兄弟想いの人物ならば、性格的に、目上に楯突くことはまずない。目上の楯突く性格でないのに、好んで秩序を乱すものには、お目にかかったことがない。諸君、大切なのはこれなんだ。この基本が理解できれば、仕官の道も夢ではない。考悌こそが、人としての道の第一歩なのだ。」 解説 為政者に対しては人材の見分け方及び判断基準、仕官を志す学生に対しては為政者の目に留まるための心のあり方を示すとともに、孔子の根本思想が「放伐」を否定していることを示す一文。「執筆者」としての有子を紹介するとともに、有子に孔子思想の真髄を語らせるおり、「主筆」有子の面目躍如たる所がある。 なお、名前の後に「子」があるのは、著書があることを示す(孔子を除く)。有子は「論語」の著者なのである。換言すれば、子貢はその権利を有子に譲った形になっている。その意味でも、「人不知而不慍、不亦君子乎」。有子の子貢への謝辞をも兼ねている。この一節で、有子の力量が分かろうと言うもの。斯くの如く、論語「原本」は、互いの連関性が高く、特に学而編はそれを以ってひとつの統一体とも言える。なお、論語における「道」は、「仕官の道」と訳すと意味が通じる場合が多い。 4)子曰、弟子入則孝、出則弟、謹而信、汎愛衆而親仁、行有餘力、則以學文、 孔先生のご発言。「家庭内では親想いで、外に出れば相手を思い遣り、人から信頼を得るほど腰が低く、多くの人と仲良く付き合いながら、立派な人物とは昵懇にする。これだけのことが出来て初めて、古人の残した言葉を学ぶ資格があると言える。」 解説 歴史、文学を学ぶための前提条件を記す。前節と同様、論理性の高さは検証済み。この言葉は、単に古学を学ぶ基本姿勢を求めただけではなく、それだけの要素を持っていなければ、むしろ危険と言うことも語っている。 5)子夏曰、(賢賢易色、)事父母能竭其力、事君能致其身、與朋友交、言而有信、雖曰未學、吾必謂之學矣、 子夏先生の解説。「古詩に『賢賢易色』と言う一節があるが、その意味は、父母にはその能力が尽きるくらいの真摯さで仕え、主人に向かっては身を粉にして働き、友人との交際の際も、信を置かれるくらいに言葉に忠実な人物であれば、古人の言葉は聴いたことがなくても、それを学んだ人物と同等に置いても何ら差し支えない。」 解説 (賢賢易色、)のカッコは原点にない。この部分については、宮崎市定教授が自著で画期的な解釈を発表されているので、判断を控えた。ただ、大事なのはそれ以降の、この古詩に対する開設の部分で、「事父母」、「事君」、「言而有信」という水準に達していれば、古人の見識は理解出来ているという解釈である。ここでも、「學に必要な心構えを説くとともに、古詩の解釈を通じての学識向上と言う、具体的かつ基本的な、孔子集団の学習手法を論じている。逆に言えば、古のことを学ぶのは、それだけ危険が伴うと論じている。 6)子曰、學則不固、過則勿憚改、主忠信、無友不如己者、 孔先生のお言葉。「学ぶに際し、自説に拘泥するな。間違いは速やかに改めよ。友人には専ら真心をもって接し、自分にも至らない者は友とするな。」 解説 通説では「子曰、君子不重則不威、學則不固、主忠信、無友不如己者、過則勿憚改、」と記されているが、「君子不重則不威」は為政編の 「季康子問、使民敬忠以勸、如之何、子曰、臨之以莊則敬、孝慈則忠、擧善而教不能則勸、」の、 「子曰」と「臨之以莊則敬」の間に挿入する。 そのうえで、「學則不固、主忠信、無友不如己者、過則勿憚改、」の順番を入れ替えた。 7)子曰、父在觀其志、父沒觀其行、三年無改於父之道、可謂孝矣、 孔先生のご見解。「父親が健在ならば、その考えを察し、没後は挙動を思い出すこと。3年にわたって父親のやり方を変えなければ、孝に値する。」 解説 早くに父母を亡くし、或いは生き別れた孔子にとって、「孝」は弱点であった。 まず、孝とは至って実用的な概念であることを理解すること。当時にあって、ごく一部を除き、唯一の「記録(記憶)装置」は「親の脳味噌」であった。一通り、親の真似ができて初めて、社会に出られるのである。その意味で、人生最初の教師たる親に対し、心を尽くすのは当たり前という考えを述べたもの。3年の喪と言うのは、思い出して理解するには、そのくらいの期間が必要と言っているのである。従って、この場合の孝の意味は「知恵、知識の相続」という、古代においては重大な意味を持つ。一方で、為政者からすれば、「後継者の選抜基準」を提供しているとも言える。 なお、この一節の直前に、自説を挿入した曾子の着眼点、加筆と言う許されない行為ながら、その発想には舌を巻かざるを得ない。 8)有子曰、禮之用和爲貴、先王之道斯爲美、小大由之、有所不行、知和而和、不以禮節之、亦不可行也、 有先生のご発言。「礼を実践する際は、同席者との兼ね合いと言うものが大切である。昔の為政者は、その点が見事であった。式の大筋から細目まで、自分のやりかたを押し通しても、最後までやり通せるはずがない。と言って、相手の言い分を聞き過ぎて、自分の家に伝わる礼を忘れると、何のための礼なのか、分からなくなる。」 解説 まさに、夏目漱石の「知に働けば角が立つ。情に掉させば流される。」が適訳と言うべき一節。礼は家毎に異なる。或いは国毎に、地方毎に異なる。我意だけを押し通しても、結局は何も出来ない。と言って、相手の主張を呑み過ぎれば、己の立場がなくなる。礼をどこまで押し出すかを語った文。 9)有子曰、信近於義、言可復也、恭近於禮、遠恥辱也、因不失其親、亦可宗也、 有先生の発言録から。「正義に適う信条であれば、復唱して差し支えない。礼に適うほど恭しければ、恥をかくことはまずない。古臭いと言われても、付き合いを欠かさない態度は、尊重すべきである。」 解説 「信」「恭」についての明快な解説。そして、義(正義)、礼に言及している点に着目するべき。つまり、これは一種の政治論である。他人の言葉は咀嚼してから口にすること。恭しさがなければ、恥をかかされる。つまり、支配者の立場から滑り落ちるという警告である。 10)子曰、君子食無求飽、居無求安、敏於事而愼於言、就有道而正焉、可謂好學也已矣 孔先生のお言葉から。「食い扶持(就職先)目当てだったり、楽して進学しようと言う態度は論外。言いつけはきびきびとこなし、言葉は、よく考えてから口にすることが、やっと出発点なのだ。そうなってからその道の専門家(有識者)に従うのであれば、古人の言動を学ぶための、好ましい姿勢と言える。 解説 学問に携わるに際しての態度の段階的に評価している。好ましい姿勢とは、ここまで突き詰めなければならない。 11)子貢曰、貧而無諂、富而無驕、何如、子曰、可也、未若貧時樂道、富而好禮者也、子貢曰、詩云、如切如磋、如琢如磨、其斯之謂與、子曰、賜也、始可與言詩已矣、告諸往而知來者也、 孔先生と子貢先生が、初めて邂逅した時の対話。 子貢「孔先生、『貧而無諂、富而無驕』(貧しい境遇でも他人に諂うな。裕福であっても威張るな)という詩を作ってみました。ご感想(評価)をお願いします。」 孔子「今の詩でも悪くはないが、『未若貧時樂道、富而好禮者也』(貧しい時があってもその運命をむしろ楽しみ、富裕な立場にあっても、礼を好むことを忘れるべからず)とした方が、後世に残す詩としては相応しくはないかね。」 子貢「なるほど。詩経に『如切如磋、如琢如磨』という一節がありますが、その意味は、今の先生と私の会話の様に、表現を推敲し合って、己を高めあう様を言うのですね。」 孔子「驚いた。詩経について語り合うことが出来たのは、子貢よ。お前が初めてだ。一言言って、反応が返ってくるとは、思いも寄らなかったよ。」 解説 多言は無用。論語(原本)の「編集総責任者」が子貢であること、その鮮やかな出会い。逆に読めば、その邂逅から最期の一蹴までを、見事に語りつくしている。見事というほかない構成。 如何であろうか。その主張、理論、これほど明快な物はない。 (続く) 追記 「春秋の風 論語の心 孔子の生」の「春秋編」、「論語編」、「孔子・弟子・家族編」を、宮崎市定先生に捧げる。
by 2-shikou
| 2007-12-31 23:14
|
ファン申請 |
||