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春秋時代の宮中図書館は、おそらく次のような人員構成になっていました。 図書館長に相当する人物(大夫)と、それに属する内臣(史人集団)。 国家機密を扱う性格上、基本的に部外者立ち入り禁止です。 では、孔子はどうして図書館への出入りを許されたのでしょうか。 季孫子が口利きしたと考えられます。 具体的には、季孫子の内臣団長(冄耕、冄雍)に命じ、魯公と図書館長の、それぞれの内臣の長に話を持ちかけ、最終的に魯公の許可を得たと思われます。 ですから、孔子が出入りを許された時点で、図書館の職員にはその事実が伝わっていたでしょうし、ある意味知識人ですから、孔子の博学ぶりに興味津々だったと思われます。 ところが、質問ばかり繰り返します。 「あいつ、評判倒れじゃないか。何にも知らないではないか。」 「職員」の一人がこう洩らしました。 それを聞いた孔子、反論します。 「これこそがしきたり(礼)じゃないか。」 鼻っ柱の強さが出ました。 (続く) 追記 真説「春秋」、真説「論語」、並びに真説「孔子」を、故宮崎市定先生に捧げます。
by 2-shikou
| 2008-04-14 21:22
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